以前働いていた老人福祉施設で今も印象に残る話です。
その日私は同僚Bさんと常日頃思っていることを話していました。
どうしても苦手な利用者の方でも心に余裕がある時は笑って過ごせるけれど、心と体がいっぱいいっぱいの時はイライラしたりするよね。
私 「そういう意味では私、 夏子さんが時々すごくしんどいかも。」
入居者の夏子さんは聡明で美しい方。けれども上から目線というかお高くとまっているというか、人をあごでつかう感じの方でもあります。
事あるごとにコールをしてきて「あれやって下さる?」「これやって下さる?」「そこはそうじゃない。ちゃんと言っておかないと今後のためにならないでしょう」と。
確かに。
言っていることは間違っていないのですが言葉づかいが丁寧な分、疲れている時にそれをされるとカチンときてしまうのです。
Bさん 「そうかー。私はそれほどでもないかも。テキトーに『 はいーはいー 』と言っていたら機嫌もいいし。どちらかといえば私は冬子さんの方が苦手かも。」
利用者の冬子さんは話の面白いユニークな方。けれども人に対する批判が厳しい方でもあります。少しでも気に入らないことがあれば所かまわず口撃が始まるのは日常茶飯事。
その声を聞いているだけで 周りの人の心が沈んでしまう、なかなかの影響力を持った人。
私 「そうかー。でも私、夏子さんに比べたらやり過ごせるかも。適当に『 すみませんーすみませんー 』とあやまっていたらそのうち機嫌も良くなるし。」
「そっかー」とBさん
でも・・・ちょっと待って。
Bさんと私、困った時の切り抜け方は似ているような気がするのに どうして私は「夏子✖・冬子〇」Bさんは「夏子〇・冬子✖」なんだろう。
やっぱり相性?もしそうだとしたら、うまいことなっているね。
するとBさんがポツリと言いました。
「冬子さんって亡くなった私の母に似てるから。愚痴っぽいというか口を開けば文句ばかりで。私、母のことが子供の頃からずっと苦手だった。学校から帰ってきてもすぐ友達の家に遊びに行ったりしてとにかく家にいないようにしてたんだ。」
「そうなんだ。」
Bさんは心根の優しい素敵な人。理不尽なことを言われてもイヤな顔ひとつしない誰の心も傷つけない人。
だから私は(どんな風に育ててもらったらこのようになれるのだろう。)と密かに思っていたのでBさんの話は少し意外でした。
「でもすごいね。「親だから」という理由だけで苦手なお母さんに好かれようとがんばらなかったところやお母さんの性格に感化されなかったところとか。」
「それはないけど早く大人になって家を出ることばかり考えてたなぁ。」
なるほど。
それなのにBさん、最終的にはお母さんを看取ったというのです。スゴすぎます。
「私だったらムリかも。」
「でも私の場合、母が余命1年と宣告されたからできただけ。妹もいたし。それに最後、結局8ヶ月間だったけど母、認知も入ってきたせいか以前とは全く違う素直で可愛いすごくいい人になったから。」
「それが本当のお母さんの姿だったのかな。」
「わからないけどね。」
私はBさんと別れたあとも、余韻にひたらずにはいられませんでした。
「終わりよければすべて良し。」
というのはこのようなことをいうのかもしれません。
長い年月の間に いろんな感情が積み重なった複雑な親子関係を最後の最後、全て消し去るような終わり方に変換したBさん。誰にでもできることではないです。本当に立派だと思いました。