仕事で介護が必要になった人たちと接する中で、気分が落ち込み精神的に不安定になる方に何度も出会いました。
加齢による身体の変化・認知面の変化・脳こうそくでマヒが残り、車いすの生活を余儀なくされるなど ある日突然の変化。
理由は人それぞれでも人に助けを借りないと日常的な生活動作ができなくなるということ。
それはいったいどういうことなのでしょう。
以前の自分とは違うことへの情けなさ・自由にならないもどかしさ・イラ立ち。
他人に対する遠慮・自責の念、いろんな思いが重なり合ったそれぞれの胸の内を計り知ることはできないけれど。
かわいそう?いいえ、そんな風には思いません。
ただ身につまされるのです。いつか私も通る道だから。
誰もが通る道だからこそ、考えずにはいられなかったのかもしれません。
身体的なサポートと同じくらい、大切な1人1人の心模様とそのサポートについて、私は利用者の方とどのように関わっていけばいいのだろう。
そこから考察が始まりました。
「もし私なら 」
利用者の方は未来の私の姿です。もし私が以前と同じ身体の動きができなくなったとして どうやって現実を受け止めるのだろう。どうやって心を落ち着かせる?
現実を変えることはできない中で、心だけでも自分らしくいるために私ができることは何だろう。
心を明るく持つこと?
でも その時私は喪失感でいっぱいだと思う。希望もないのに心を明るく持つことなど私にはできない。
私にできるのは無気力になって寝込むことだけで・・・。
でも、そうこうするうち体力がますます落ちてもっと取り返しがつかなくなるのも避けたい気がする。
再考察。
どんな状態になっても生きていかなければいけないのなら、やはり立ち直るきっかけが欲しい。
立ち直るきっかけ?何だろう・・・
こんな風にしてずっと考え続けて出た答え。それは「自分の心の内を正しく理解し、わかってくれる人がいる。」ということでした。
自分の心にブレーキをかけないでありのままを話しても受け止めてくれる。たとえうまく話せなくても伝えきれない心のひだまでしっかりキャッチしてくれる。そんな人がいるだけで心が安定すると思うから。
心の安定は生きる希望につながる。私はそう信じているのです。
私が傾聴サービスの仕事を始めたいと思ったきっかけ。それは利用者の方の話に耳を傾けることから始まりました。
話を聞くことで相手の心を理解する。そうすることで閉ざされていた心の氷が溶けることがある。
たとえその場限り、次の瞬間には元通りになっていたとしても1日1回だっていい。
心の氷が溶ける瞬間に出会うことを目標に利用者の方と向き合おう。
そんな瞬間のじゅずつなぎが明日への希望につながるかもしれないから。
こうして1人1人の心を理解することの大切さに気づいた時、いつしかこれはすべての年代に当てはまる、人間なら誰もが持っている願いなのではないかと考えるようになりました。
だからこそ傾聴サービスの仕事を始めよう。
私の力は小さいかもしれません。
けれども同じ空の下、『あなたのことを理解したい。』と思う人間がここにも1人いる。
そんな思いで傾聴サービスを始めようと思いました。